筋肉痛

存在の美学の搬入まですでに1週間を切った。こんな時に筋肉痛とはラストスパートの超人的な筆の動きからくる腕の筋肉痛か?… そんなわけはない。

昨日の昼間、池を作ったのだ。こんな追い込まれた時に…、だが時間がないときこそそういうことをしたくなるものだ。かまくら作りの時みたいに…。

以前にも何度かブログにも書いたが、うちの庭には3年くらい前に作った水たまり並みの小さな池があった。そこに住んでいる金魚3匹は、水量も少ないうえに冬には厚く凍ったままになる過酷な環境下にあってすでに2冬を越している。

暖かくなったらなったでカエルの卵の恐怖やら、カラスの行水の恐怖、子供たちにいじりまわされる災難にも耐えて立派に生きている様には感動すら覚える。 しかしそろそろもう少し住みやすい環境を作ってやりたいとずっと思ったまま、忙しさの中、そのままになっていた。今週に入ってから「存在の美学」用の作品が何とか間に合いそうな”気がし始めた”。そこで思い切ってやっちまえ。ということで急きょ作ることにしたのだ。何もこの時期に…、とも思うがもう少し経つと蚊が出始めて庭仕事どころじゃなくなってしまう。また、「存在の美学」の作品が終わったら時間ができるかと言えば、すぐに次の「手わざ」展の締め切りが近づいてくる。こりゃ最後のチャンスというわけだ。 使うのはスコップと、水平を測るための水準器と角材、あとはあらかじめ買ってあった大きめの防水シート。残りは庭のあちこちに出ている植物を移植したり、庭石やらじゃりやら小石やらを庭中からかき集めただけ。昼前から始めて夕方には水を入れられるまでになった。約2m×3m弱、今度は水たまりには見えない池らしいものになった。さっき金魚を入れてみたが、3匹じゃちょっとさみしいくらいだ。

まだまだあちこちに防水シートの縁がそのまま露出しているので暇を見て処理しようと思うが、1日仕事としては上出来でしょう。日当たりがあまり良い場所じゃないので日陰向きの植物(ギボウシ、ハラン、ヤブラン、リュウノヒゲ、コケ、イカリ草、ユキノシタ、ナンテンの木、ユキヤナギ…)をあちこちから持ってきた。スイレンやらホテイ草が増え、数年後、植えた植物の高さも出てくれば、それなりの風景になるんじゃないかと思っている。庭づくりの作業は石やら植物やら土を使って彫刻でもするような感覚が味わえる。奥行きを感じさせたり、視線を導いたり、強弱をつけたり…絵を描く時の感覚とも共通する。違うのは相手が生きているので、植物の成長を計算に入れ、数年後の状態を頭に描きながら作ること。思い通りになったりならなかったり、意外なものが出てきたり…、そこがまた面白い。

前にも言ったように、くれぐれも言っておくが、私は庭師ではなく横浜の町中育ちの絵描きでございます。

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