1月20日。本日は雪

昨日カルチャーセンター(東急BE)の生徒さんから「これから雪ですよ。埼玉が一番たくさん降るらしいですよ。」と脅かされたのだが、果たして今朝起きてみると本当に降っていた。この冬初めての雪。去年の冬のヨーロッパは猛烈な寒波でやたらとパリでも雪が降っていた。蚤の市で吹雪に吹かれてえらい目にあったことを昨日のように思い出す。しかし今日の雪は想像していたようなすごいものではなく、うっすら積もった程度、夜のうちに雨から雪に変わったようでちょっとびちゃびちゃの雪だ。でも予報によるとまだまだ降り続くらしいのでこれからもっと積もるのかどうか…、子供たちは雪を見るなり大興奮の様子だ。娘は朝食が終わるなりもう待ちきれない様子でパジャマのまま庭に出て行き、雪に自分の足跡をつけて回っていた。子供のころはひたすら楽しみだった雪だが、大人になるにつれ「寒いぞ」とか、「雪かきが」とか、「路面が凍結するぞ」とか、「交通機関は?」とか、余計な煩わしさに阻まれて純粋に楽しむ感情も少しずつ変わっていくものだが、それでもやっぱりなんだか期待する気持ちは残っているもので、朝起きて大して積もっていないとなんだかがっかりしたりする。「30センチくらい積もってみやがれ!」なんて思っている自分を発見する。

子供のころに住んでいた横浜の家、今はもうそんなところはなくなってしまったが、当時は家の裏手にちょっとした広さのある空き地があった。周囲の家にすっかり囲まれて周りの道からは全く入ってこられない隔離された空間、そうだ、今考えるとまるでパリの街の中の中庭空間みたいな場所…もちろん雰囲気はおよそパリみたいな感じなどみじんもないが…。冬に雪が降るとその空地だけはしばらくきれいな雪が溶けずに残り、子供たちの格好の遊び場になる。いつだったかあまり雪の降らない横浜にしては珍しくたくさんの雪が降った年、小学生だった自分は精いっぱいの力で「かまくら」を作った。子供としては頑張ったつもりだったが出来上がったのは子犬が1匹入る程度のちっちゃなもの、それでもめったにできないことを成し遂げたことに有頂天で、上に上って滑り降りてみたり近所の犬を入れてみたり、はたまた自分自身が上半身だけぎゅうぎゅうに入り込んでにやにやしたり、それなりに楽しんでいた。何日かたって次第に小っちゃくしぼんでいくそのかまくらを見て物悲しく思ったことを今でも覚えている。そんな子供のころの体験が影響してか、今でも雪が降るとなんだか「かまくらを作らねば。」という強迫観念のようなものに襲われ、どんなに疲れていても忙しくても作らずにいられなくなる。今住んでいる家はある程度の庭があるため、大雪が降れば雪かきした分で何とか人が入るくらいのものが作れるのだ。数年前、大量に雪が降った時は大人がしゃがめば3,4人は入れるサイズのものを作った。作ったからなんだというものではないのだが、とにかく作ることに意味があるのだ。なんで?と聞かれても答えようがない。「そこに雪があるから。」だ。そんなことを書きながらも窓の外が妙に気になる。今はやんでしまっている。いや、雨に変わったのか?たくさん降れば作れるが、作るのは大変だぞ。このくそ忙しい中そんなことやってる場合でもない。なんだか自分の中でも作りたいのか作りたくないのか訳が分からない。恐るべし子供の頃の体験。おそるべし強迫観念。とにかく中途半端は困ります。降るならめいっぱい降る、降らないならぴったり止む、どっちかにしなさい。

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