-水と油 - 小尾 修・永山裕子 二人展 “Water and Oil, Osamu Obi × Yuko Nagayama”

またまた遅れた展覧会のお知らせ。

先週末から茅場町のGallery Suchiにて展覧会が始まっている。

“あの”水彩画の永山裕子さんとの二人展。

この企画の始まりは今から5年以上前に遡る。2015年9月、セントラルミュージアム銀座にて開かれていた永山さんの個展会場で圧倒的な作品の力に打ちのめされた私から「永山さん。私と二人展をやってくれませんか?」と申し入れたのがそもそもの始まりだった。 

その時広いセントラルミュージアムの個展会場でひときわ目を引いていたのは、”風の花嫁”というタイトルの大作。駱駝に乗った女性をダイナミックな構成で描ききっている。装飾性の強い画面は近くに寄ってみると貝やボタン、その他細々とした装飾品が一面にコラージュされていて、まるで画面そのものが工芸品のようにさえ見える。驚くのはこれが水彩で描かれた画面とまるで違和感なく成立していることだ。油絵の具のような強い物質感のある画材とは違う水彩で描かれた画面が、貼り付けられた物質に負けないだけの強度をもち、むしろ一体化して一つの表現に結びついている。彼女にとってはコラージュという行為が異質なものをぶつける面白さをねらったものであるよりは、水彩を用いるのと同様、どちらも”描く“行為の一つなんだろう。繊細さと無骨さ、優美さと力強さが一つに溶け合ったような作品を前に言葉を失う瞬間だった。永山裕子・・・というと世間では綺麗な花や果物を色鮮やかに描き出す画家・・・みたいなイメージを持っている人が多いかもしれない。でも実際はそんな表層的な画家ではない。一見綺麗なモチーフの中にもそこに込められた深い意味や想いがあり、華やかに見える画面の底には空間をしっかり掴み取る確かな目と、それを画面に瞬時に定着させる腕力がある。お決まりの絵をそつなくこなして描くような絵描きでは決して無い。

他人が自分より一歩も二歩も先を行くいい絵を描いているのを目の当たりにした時に感じる悔しさ、嫉妬といった感情は、時に自分を次の作品に駆り立てる原動力となる。そんな悔しさはむしろ喜びや興奮に近いものだ。展覧会場を後にした私の気分はまさにそれだった。確かその日のうちに永山さんに二人展の話を申し入れたんだと想う。「展覧会のタイトルは(水と油)で!」・・・。

快く申し出を受け入れてくれたそのときからすでに5年半。その間二回ほど会期を延ばしてギャラリーに迷惑をかけたいきさつはこの際都合よくすっ飛ばすことにして、先週めでたく展覧会にこぎ着けることができた。コロナ渦、緊急事態宣言のまっただ中というタイミングで・・・。一生忘れられないんだろうなあ・・・。よりによってこのタイミングとは。

展覧会前に画廊を含めた展覧会に対するミーティング的なものはもたれなかったが、永山さんとの間でいくつか決めたことがあった。1.何か一つだけ、共通したモチーフの作品を作ってみよう。2.額装はできればなしに。1.のモチーフは永山さんが1枚、ガラスものを描こうと思っていると言うことで私がそれに乗っかることにした。ガラスものを主にした作品は描いたことがなかったが、私自身、画中に鏡を入れたり、地面の水たまりに映り込む空を描くなど、光の反射、屈折、透過の現象には元々興味があった。反射による映り込みはキャンバスによって切り取られた四角い画面内には描けない画面の外に広がる空間を暗示させることができ、またガラスによる屈折や透過の光は描くのが難しいだけに魅力的でもある。これは面白そうだと・・・。

水彩で描くガラスと油彩で描くガラス。材料の特性から発生する作家の見方や表現の違い、きっと見に来る人にも興味を起こさせるんじゃないか、そんな風に考えた。2.の額装については実は以前にもGallery Suchiでの展覧会でやったことがある。今回は「水と油」のタイトル通り(?)対照的な素材を用いた作品の対比が意味を持つ展覧会。フレームにおさまったガラス越しでは生の素材感が充分に伝わらないだろうと言うことでオーナーの須知さんとも相談の上、思い切って額なしに、ということになった。額縁というのは作品を保護するものであると同時に作品に“見栄え”を与えるものでもある。作品を裸の状態で展示するにはそれなりの勇気も必要だ。会場を見に来てくださったあるコレクターの方は「最近、額縁なしだともたない絵ってあるんだなってわかった。」なんて怖いことをおっしゃっていたが、それは真実だ。

これまでいくつもグループ展は経験してきたが、今回は今までにはちょっとやったことのないやり方を試みた。試みたをというよりはなんとなくそうなったというのが正直なところとだが。普通は展覧会前までグループ内で他の作家がどんな作品を作っているのか、情報をやりとりすることはほとんど無い。展覧会場で初めてお披露目というのがこれまでのやり方だった。今回もそのつもりだった。あんまりはじめから互いの手の内を明かしてしまうと変な影響を受けたりするのもいやだし。関係なく自分のやりたいことだけをやりきればいい。そんなわけで秋頃までは全く互いに音沙汰なしの状態で勝手に描き進めていた。そろそろ案内状を作らなければならなくなった頃、それぞれの進行状況が気になり始め、ここまで来ればもう今更影響もないだろうと言うことで、時々互いを牽制するように制作過程の画像などをやりとりし始めた。昨日までかなり描き込んでいた大作を翌日になると「失敗したから破いた!」同じく綿密に描き込んでいたガラスの作品を「ぶっつぶした!」妥協無く全力投球している姿からこちらが受けるプレッシャーも半端ではない。こちらも負けずに手の内を明かすが向こうになにがしかの危機感を与えられたかどうか・・・。

明らかになってくるのは互いの制作スタイルの違い。油彩を使った写実表現では時間をかけて幾層にも絵具を重ねながらの制作になる。もちろん途中での葛藤や画面上の変更もあるにはあるが、描き始めの段階での画面構成の決定がかなりその後を左右し、葛藤は一枚の作品の中での試行錯誤の形をとることになる。そうした痕跡はそのまま作品の中に積み重なりながら作品に時間の厚みや深みを与える。水彩の場合に求められるのは水の動きや乾きに反応する能力だろう。そこにはスピード感と偶然を必然として取り込むくらいの感覚が必要なのかもしれない。油と同じように色を重ねることはできるにしても、戸惑っていれば下の色を溶かし、筆の迷いは色の濁りにつながる。無理な描き方は紙をあらすことにつながるし、1枚に必要以上の時間をかければ画面の鮮度が失われかねない。だから1枚の中で試行錯誤するよりも枚数を重ねる中で考えるようになるのだろう。それにしても相手の出方を見て悔しがったり負けるかと躍起になったり、こういうやりとりはは学生の時以来かな・・・?なんだか懐かしいような感覚を覚える。コロナの影響でいろんなものがオンラインで行われるような世の中が来つつあるが、これもコロナ時代の面白い制作方法かもしれないな・・・。、なんてこと思いながら制作した。いやいや、思い出せば去年までの海外からのプロジェクトでも世界中の20人くらいの画家達がやっぱり似たように自分の状況を小出しに見せながら競争意識を高めてたっけ。そっちも6年くらいかけてたな。これからはそんなやり方が当たり前の時代になって行くんだろうか。世界中の画家達とやりとりしながらの制作・・・。それはそれで楽しそうだ。

展覧会場であるGallery Suchiは廊下を隔てた二つのギャラリースペースがある。それぞれの作品を一部屋ずつに分けての展示では面白くないのであえて同じ部屋に対比させるように作品を並べることにした。例のガラスをモチーフとした作品も隣り合わせて展示されている。単に質感表現ということであれば自由にトーンをコントロールできる油絵の方が描き込みの点で優位といえるかもしれないが、水彩を用いる永山作品は水彩ならではのにじみとその反対にエッジの効いた効果を巧みに使い分け、色彩豊かに輝くようなガラスに仕上げている。油ではできないこと、水彩ではできないことを突き詰めるとこんな対比が生まれるという面白い例になるかもしれない。

 

 本来なら皆さん是非見に来てくださいと言いたいところだが、緊急事態宣言下、なかなかそうも言えないのがもどかしい。ギャラリーでは3人以下の少人数での来廊をと呼びかけている。もしその期間、都心にお出かけの用事がある方は無理の無い範囲でお寄りください。

詳しくは、こちら。

http://www.osamu-obi.com/2021/02/15/%ef%bc%8d%e6%b0%b4%e3%81%a8%e6%b2%b9-%ef%bc%8d%e3%80%80%e5%b0%8f%e5%b0%be-%e4%bf%ae%e3%83%bb%e6%b0%b8%e5%b1%b1%e8%a3%95%e5%ad%90-%e4%ba%8c%e4%ba%ba%e5%b1%95%e3%80%80water-and-oil-osamu-obi/

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