印刷立会い

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 今週の水曜日から木曜にかけて画集の印刷が行われた。場所は東武東上線森林公園駅近くにある東京印書館の印刷工場。印刷の立ち会いなどというものは初めての経験、何が行われるのかもよくわからないままの参加となった。工場は駅から車で15分ほど行ったところ。民家も少ないのどかな田園風景の中にあった。東京方面ではもう桜もほぼ散ってしまった後だが、ここではまだ

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まだ花見ができるほどの花のつき具合。ちょうど工場の待合室の窓から風に散る桜の花びらが舞う様子がきれいに見える。都心とはちょっと気温が違うようだ。

 いざ、印刷作業が開始される。印刷に立ち会うとはどういうことなのか、自分なりに書いてみようかと思うが、それにはまずこの印刷が行われる前に行われてきた作業のことから書いた方がいいだろう。

今回の場合、画集なので主に自分が持っている作品画像データ、(ポジであったりデジタルデータであったり)をまず印刷会社に提出する。その際に今回の作業を総合的に見てくれることになるディレクターと直に打ち合わせを行った。実際にポジを見ながら、また、データを画面に映しながらこちらのイメージを伝える。作品を忠実に再現するのにイメージもへったくれもないだろうと思うかもしれないが、データはあくまでデータであって作品と同じではない。写真画像に撮った時に下層の色など、肉眼では見えない色をカメラが拾ってしまうこともあり、また、作家が作品で何を見せたいのかによっても画像を編集する上での優先順位が違ってくる。そんな画像と実際の作品との微妙な差異や、作家側の考えをディレクターと共有することで、その後の作業がスムーズになるという目的がある。具体的に今回伝えたことは、ディテールをしっかり見せたいということと、明部の調子をしっかり見せたいのであまり明るく飛ばさないでほしいというような内容だった。その後、色校正を2回行う。赤ペンで具体的に修正してほしい内容を書き込んでいき、こちらの意思を伝える。1回目の校正で修正してきた様子を見ながら2回目の校正でさらに軌道修正をする感じといったらわかるだろうか。

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 そんな経緯を経て本番の印刷となるわけだ。さて、印刷時の立ち会いで、具体的に何をするのかということだが…。まずは2回の校正で修正されたデータを入力した印刷機で試し刷りがされる。おそらくその際、印刷技師たちは色校正用紙を見ながらそれが指示通りになっているかを見直し、さらに調整しているよう

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だ。そうして出てきた試し刷りを見てこちらがチェックを入れる。もっと赤味が強いとか、黄色味を抜いてくれとか…。その指示に従って機械を微調整し再び試し刷り。最終的にOKが出たらその試し刷りの紙に日付とサインをこちらが入れる。あとは一気に3000枚刷り上げる。その間約1時間。チェックとチェックの間の1時間は特に何もすることはなく部屋で待機。その繰り返しだ。このチェックでもめてしまうと作業時間は長くなり、すんなり通れば短くて済む。だからこそ本番前の打ち合わせから校正作業に至る工程が非常に重要だともいえる。空き時間は自由なので近所を30分ほど散歩したりしたのだが、

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人通りも少ないのどかな田園風景が広がる中を一人歩きまわるのはなかなかのものだった。…話がそれてしまった。ところで一度に刷るのは見開き(2ページ分)×4枚分。これが1枚のシートに印刷され、後に裁断されることになる。これを今回はカラーページの分、表裏面合わせて18回まわしたので単純に計算すれば最短で18時間ということになるが、実際はそこにチェック時間が加わり、もちろん昼休みやらなんやらの休憩も入るため、2日にわたる仕事になった。印刷工場はシフト制で24時間稼働している。当初はスケジュールの都合で1日目に片面の9枚分、2日目に裏面の9枚分、という予定だった。ところが2日目の木曜は、私が夜、カルチャーセンターの仕事があるので夕方には出なければならないということで無理をお願いすることになり、結局水曜の朝から始め、翌日の朝4時過ぎまでぶっ通しで作業を進め、そこから昼までは機械を他の仕事に充てるので中断、昼から再び再開し、夕方までに何とか仕上げてくれることになった。

 実際の印刷機で色を調節するには実は限界もある。一つは数ページ分まとめて刷るための制約。つまり1枚の絵に対する色の変更は他のページにも影響を及ぼすということ。一つの絵の赤味が強いからと赤味を抜けば、対面側の絵まで赤味が抜けてしまう。また、この絵の顔の部分だけ…というようなピンポイントの調整も不可能。あくまでも調整はローラーの方向に沿った数センチの幅の一直線上に同時に行われる。逆に言えば、その一直線上であれば、数センチ単位の幅で微妙な調節はできるということになる。もう一つの制約は色相の調節はできても彩度の調節は難しいということ。要はこの色のインクを多めに。または減らして、ということなので、画面全体の色相をどの色に近付けるかという選択をするわけであって、例えば肌色に含まれる赤味からグレーの色の幅をもっと際立たせるというような彩度にかかわる調整はほとんどで

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きない。さらに最後の制約は、明度とコントラストの調整は必ずしも自由にならないということ。例えば肌の色がちょっと明るく出過ぎている。もう少し全体の明度を落として一段暗めに…、などと思って全体のインクを濃いめに設定したとする。さて、画面上の明暗の諧調はごくごく小さな点の集積の粗密によってあらわされているとすると、インクを濃くするということは(印刷技師の人たちはインクをもっと”盛る”という表現を使っていた。)その11つの点に多めのインクが”盛られる”ことを意味する。するとここで起きる現象は、面積に対して点の数が多いところほどインクの増加量が多くなるということ。つまりもともと明るい(点が少ないところ)には大した変化は見られず、暗いところ(点が多いところ)ほど濃さが際立ってくる。全体としては多少暗くなったとしても、実際は、暗くなるというよりはむしろコントラストが高くなるという結果となる。見た目としては暗部が濃くなった分、かえって明部の白さのほうを際立たせる結果に終わることもあり得るというわけ。

 ちょっと理屈っぽくなってしまったが、自分なりに現場を見ながら理解したことはこんなところ。あくまでも作業を見ながら感じたことなので、専門家から見たら間違いだらけかもしれないが、その辺はお赦しのほどを。結局のところ最初に戻ってしまうが、大事なのはむしろ印刷に入る前のきちんとした画像データをそろえることと、それをきちんと印刷用に加工できているかにかかってくるように思う。印刷段階での調整はあくまで最終的なわずかなニュアンスの調整にとどめるべきで、ディテールのわずかな違いにこだわっていじればいじるほど、かえって結果は悪くなるように感じた。

 今回私の画集にかかわってくださったディレクターの男性は、相当なベテランでありながら2日目の朝には自ら出向いて陣頭指揮を執ってくれていた。一緒に食事をしながら苦労話などをこちらから聞き出そうとしても、「好きなことをやってますから」と愚痴や不平の言葉は一切口から出てはこない。「長年やっていてもまだわかりません。」と、言葉の端々から謙虚さと情熱のみなぎる、すがすがしい人物だった。

 何とか無事印刷作業は終えることができた。これで画集に関して自分ができることは全て終わり。100点満点か…といわれれば、いくつか悔いが残る部分があることも事実だが、その場でできる範囲の精いっぱいのことをしたという意味では、やるだけのことはやったという満足感は持っている。さてこれが店頭に並んだ時にいったいどんな風に見えるのか、それは展覧会初日を迎えるときの気分に似ている。満足感と不安感、喜びと落胆、いろんな思いがぐちゃぐちゃに混ざって自分の作品なのに近くに行ってみる勇気がなくなる。たぶんいつものそんな感じに似たものになるんだろう。

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