斎藤國靖 『「仮説」としての絵画』展

RIMG0282.jpg  以前にも一度この展覧会には触れたが、この展覧会は今月17日まで武蔵野美術大学美術館で開かれている。

http://mauml.musabi.ac.jp/museum/archives/1497

斎藤教授については今までも何度かこのブログで書いているが、http://www.osamu-obi.com/blog/2012/08/post-197.html言わずと知れた武蔵野美術大学絵画組成室の専任教授だ。10月の「美術の窓」の中で教授の記事が出ていたので読んだ人もいるかと思う。http://www.osamu-obi.com/blog/2012/09/kay-2.html私がムサビに入学した年が、油絵科の絵画組成の授業の始まりの年だった。その時から現在まで、30年近い年月、斎藤先生はムサビで教鞭をとっていたことになる。今考えてみると、学生だった当時、先生はまだ40代前半、今の自分よりずっと若かったことになるのだと思うと、ちょっと信じがたい感がある。当時学生だった自分達学生の目には50代くらいには見えていた。それほどの貫録がすでにあった。しかしいつのころからかその見た目の年齢を実年齢の方が追い越してしまったようで、今ではどう見ても、とても今年で退任の70歳という年齢には見えない。退任教授と言えばもう足腰がだいぶ弱って大変そう。といったイメージが一般的にはあるかと思うが、現在の斎藤教授を見る限り、まだまだ学生とけんかしても負けそうな感じがしない。柔道で鍛え上げた筋肉質な体は衰えを見せていないようだ。RIMG0278.jpg

 肝心の展覧会の方だが、私は飾り付けの際に手伝った後、完成した会場をまだ見ていなかった。芸術祭期間が明け、今週、2年生の絵画組成の授業が始まって数週間ぶりに大学に通うことになって、あらためて会場を見た。

 通常退任教授の展覧会といえば、その教授のこれまでの画業の集大成、若いころから現在に至る代表的な作品が並ぶ展覧会となる。もちろRIMG0279.jpgん今回の斎藤教授の展覧会もそのことに変わりはないのだが、今回の展覧会についてはちょっとした違いがある。それは、教授本人の作品の展示に加えて、今まで教授が大学で何をやってきたかを同時に見せる展覧会にもなっていること。会場の一角にはこれまで授業でやってきた学生たちの模写作品がびっしりと並べられている。私や塩谷亮がヨーロッパで描いてきた摸写の他、いくつかの作品についてはその制作過程が示され、またそれぞれの時代の技法については短い解説が添えられている。画家であると同時に技法研究家としての教授の研究の成果が一目で見られる場にもなっている。今回作られた展覧会の図録では、それら技法についての解説、模写による美術教育の意味などを含め、一種、技法の解説書ともいえる教科書的な内容にもなっていて、「観る図録」というだけでなく、「読む図録」としても充実した内容となってRIMG0284.jpgいる。別に私は宣伝マンではないが、1冊1000円はなかなかお買い得でございます。

 斎藤教授自身の作品についてはここではあまり多くは語らないでおこう。ただ、言えることは古典絵画の研究者とはいってもその作品は一般にイメージされるような古典的な写実絵画とはちょっと違う。いわゆる”古典絵画おたく”の描く絵ではない。もっと、より分析的な絵画だ。西洋絵画の技法史の流れの中にあってその時代時代の素材の特性から生まれた表現形式の違い。それらいくつもの異質な表現を併置し、反応させながら一つの画面の中に再構築していく。そんな作品といえばいいのだろうか。。

 興味のある人はぜひご覧あれ。来週の月曜(11月12日)夕方5時からは会場でアーティストトークもあります。「斎藤國靖ー仮説としての絵画」ならぬ「斉藤國靖ー伝説としての教授」の名調子が聞けるのも今年が最後。聞くだけの価値は保障いたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください