宝くじ?

  韓国人である私の妻は結婚を機に日本の生活を始めた。約10年の日本での生活。初めは全く日本語が話せなかった妻だが、(家庭内でも初めの3か月くらいまでは夫婦の会話も韓国語だった。)今では日本語で書かれた本を読むことができるほどまでになっている。家では韓国語教室や、韓国料理教室を開いて日本人相手に先生をやるほどの日本語力。普段の会話には全く不自由がない。もちろん韓国人特有のなまりが全くないわけではないが、初対面の人の中には彼女の言葉を聞いて外国人だとは気付かず、日本のどこかの地方から来た人と勘違いする人もいるようだ。同じ10年日本に住んでいたとしても、そこまで自由に日本語を使える人は少ないのではないかと思うが、妻の場合、周りを見渡してもほとんど韓国人がいないような環境に放りこまれたのが上達の上ではよかったのかもしれない。日本に住んでいても日本の中にある韓国人社会の中で暮らしている人はどうしても言葉の上達はなかなか難しいようだ。

 そんな妻だがやはり日本語は外国語、たまになぜかどうにも覚えられない言葉があったりする。だいぶ前、突然「宝くじに行ってもいい?」と言い出したときはいったい何のことやら訳が分からなかった。友達から誘われたんだという。韓国にいた時に何回かテレビでその様子を見たことがあるのだが、どんなものか見てみたいのだという。よくよく聞いてみるとそれは「宝塚」のことだった。その後、何度宝塚について話しても必ず「宝くじ」になってしまう。どうにもならないらしい。

 そして先日、妻はついに有楽町にある「宝くじ」いや「宝塚」に行ってきた。大変感動したらしい。私自身は見たことはないのだが、妻の話を聞いていると「宝塚」というのはやはり日本独特のものだという気がしてくる。舞台を見るにもファンたちの間の暗黙の”しきたり”のようなものがあるらしく、例えば2階席の1番前に座ったらしいのだが、ついつい好奇心から下を覗き込もうと思ったら、どうやらそういうはしたないことはしてはいけないらRIMG0224.jpgしい。大声で声援したりする人もなく、拍手にも独特のタイミングがあるらしく、あくまでも上品に節度を持って観るのが礼儀のようだ。だからと言ってファンたちは決して冷めているわけではなく、むしろ驚くほどに熱狂的なのだという。何十年も通い続け、「宝塚」の事情は全て知り尽くしているような人も多いようで、そんな人たちの情熱が「宝塚」を支えているようだ。一つ決めたなら一生かけてでもとことん深く掘り下げる…「一所懸命」の精神は日本人独特のものかもしれない。考えてみれば精密機械より精密な日本の職人たちの技も、地道で気の遠くなるようなアニメーションづくりのの作業も、いわゆる日本の「おたく文化」も、もとをただせばおんなじところから出ていると言えないでもない。かく言う自分自身を考えてみても中学生の時に画集で見たレンブラントの衝撃から30年かけてついにヨーロッパまで行って実物を前に模写までしてきたのだから…。その間の情熱の持続力はきっと宝塚ファンのそれとかなり共通部分はあるのかもしれない。

 …余談だが、妻は日本に来てからしばらくの間、テレビのCMで見た「セキスイハウス」のことを「セクシーハウス」だとばかり思っていた。…いったいセクシーハウスってどんな家だ???

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください