畑のこと

いわゆる家庭菜園というやつ。一応うちでもやっている。しかし何年かやってみたが、やはり日当たりの悪い我が家の庭ではあまり立派な収穫は期待できないようだ。なのであまり高望みせずに気楽な感じでやっている。せっかく自分で作るのだから、無農薬でやってみたいと思うのは誰しも同じではないかと思う。うちも当然そんなことを考えている。一応何年かやってきた今の我が家の方針はこんなところ。

  1. 薬はできる限り使わない。
  2. お金をかけない。
  3. ゴミは出さない。
  4. 無理をしない。

そんなところ。1、は文字通り、農薬類は庭にドクダミやササなど増えすぎて手におえない場合、ピンポイント的に使う以外ほとんど使わない。

2、と3、はほとんど同じ意味なのだが、ちゃんと農家みたいにやろうとすれば、地面にマルチ用のビニールを張って地温を上げたり雑草を防いだり、つる性のサヤエンドウやらきゅうりのための支柱やら網やらを使ったりするところだが、それらを使うと後に必ずゴミが出る。ビニールはもちろん、支柱や網もそのうち折れたり破れたり…。それらを買うにも金がかかるし捨てるのも大変だ。そこでうちでは手間のかかるマルチは使わず支柱には冬に伸びすぎた木の枝を剪定したものを取っておいてそれを使う。細かな枝は網状になってつる性の植物のための”手”になる。それらは1年で使えなくなるが、ただで手に入るうえ、使い終われば焚火をしてすべて燃やし、その灰を肥料として使う。買ったものはその時は丈夫だがいずれ厄介なゴミとなる。しかし自然物は腐るがゆえに循環させれば捨てるところがない。同じように堆肥も庭の木々から出た葉を穴に放り込んで発酵させ使うので、落ち葉もごみとして捨てる手間から堆肥として使う手間へと変化する。しかも堆肥にする方がずっと手間がかからない上、わざわざ堆肥を買う必要もなくなる。その上カブトの幼虫というおまけがついてくるし…。昔の人の知恵…。この”循環”というやり方は横浜にいるときには全く考えてもみなかったことだ。今、環境問題だとかなんだとか言い始まっているが、昔の人たちは当たり前のようにそんなことをやっていたんだと思うといろいろ考えさせられる。4、の無理をしないというのは数年でたどり着いた境地のようなもの。農薬を使わなければよっぽどうまくやらない限り、必ずやられる奴は虫にやられる。ナスは初めは順調に収穫できるが、ある時期を境に一斉にてんとう虫にやられてしまうとか、どんなに頑張っても冬場にほとんど日が差さないので立派な白菜はできないとか…。他ではどうだか知らないがその場所に合った植物、その場所に合った時期というものがあり、そこを無視して無理やり頑張ろうとしてもどうやら思い通りにはならないのだ。なのであまりにも毎年虫にやられるものは虫が出る時期の前にしか作らない。または作らないように自然となっていった。種の蒔き方もきちんと間隔を取って規則的にまくのではなく、適当にばらまいて育つ様子を見ながら、込み合ったところから順に間引きして食べていくようにしている。昨日収穫したのは間引きしたカブの葉っぱと小松菜。どちらも少々虫に食われ始めている。それでも食べるには十分だ。生えてくる雑草たち。いちいち抜くのは大変なので、ある程度はそのまま育て、邪魔になったら抜いてそのままマルチ代わりに地面に敷いてみたりしている。そんなわけで我が家の畑はちょっと見ただけでは畑だか単なる草むらだかわからないような状態だ。

まあ、カッコよく言えば”有機農業”だが、その実態はといえば”放置農業”に近い。

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