札幌は雪

寒いぞ寒いぞ…、と、覚悟していた札幌。思ったより感じる寒さは厳しくなかったものの、やはりこちらでいうの真冬並みの寒さだった。街中の道路などへの積雪こそなかったものの、雪かきのされていない空き地や屋根の上には50センチから1メートル近い積雪。寒いので降った雪がとけないためだろう、あちこちにみられる露出した雪の断面はまるで地層のように層状に重なっているのがわかる。関東地方では決して見ることのできない光景だ。飛行機で千歳空港に飛び、電車で約30分、札幌についたのは午後3時頃、予定より少々遅れた。3時半よりギャラリートークの打ち合わせがあるとの連絡を受け、そのまま会場に向かう。会場での打ち合わせのあと、すぐにギャラリートーク、そしてホールでのパーティーという流れ。ギャラリートークは会場で作品の前を歩きながらの気楽なものと思いきや、階段式の講堂の壇上にずらりと並んだ椅子に座らせられてのものだった。いつものように普段着のまま参加した私はなんだか場違いな感じに冷や汗をかくが、実のところこれはよくやる間違いで、自分の学習能力のなさに自らあきれる以外なかった。会場には何人くらいの人が来ていたのだろう、見たところ座席の7割以上は埋まっていたように思う。パーティーにもそのほとんどの人が参加したのだろう、大変な賑わいだった。乾杯の時には準備してあったグラスが足りなくなるほど。実はその日は朝、寝坊してしまったため家を出る前に慌てて食べたバナナ1本と途中のコンビニで買った「ランチパック」以外、何も口にしていなかった。待ち焦がれていたパーテイー。乾杯とともにテーブルに駆け寄るがすでにテーブル前には人垣で入る隙もないほど、何とか合間を縫って食べ物にありつくが、ついつい話しかけてくる人たちと話しているうちに、気付くと食べ物はほとんどなくなっていた。つまりそれほどの盛況だったということ。白日会のパーティーの時の食べ物の”争奪戦”と、いい勝負というところか。

 展覧会場では、北海道在住作家達と主に東京近辺からの招待作家達、会派を超えた39人による100号前後の作品が各作家2点ずつ並べられている。招待作家についてはここ5年間に参加した17人の出品となっており、ここ5年間の集大成という位置づけのようだ。自分にとってもふだん顔を合わす機会もない作家たちと会えたことは刺激的だった。関東地方の展覧会で独立の大場再生さんと大作を隣に並べることなどなかなか想像できない…。

北海道作家たちの作品を見ると、この展覧会に対する意気込みのようなものが伝わってくる。どのようにしてこのようなメンバーが結成されたかのか、その過程はよくわからないが、こんなことを言うのはおこがましいが一言で言って粒がそろっている。この様に有志を集っての展覧会というものはどうしても知った者同士の人間関係の中で、えてして「なんでこんな作品が?」というものがある程度入ってきやすいものだが、そんな感じがない。何か共通してすべての作家に具象作家として備えるべき”足腰”のようなものがあるとでもいうのか。北海道という土地の特性なのかどうかはわからないが漠然とそんなことを思わされた。この展覧会にあたっては資金集めから始まり、人選、宣伝、会場、すべてにわたり、作家達の自主的な運営によって成り立っているという。招待作家の作品の運送料一つにかかる出費を考えても大変なことだ。ただただ頭が下がる。

パーティーの後は例によってそのまま2次会、そして3次会…。周りが次第に出来上がっていく中、自分一人しらふのまま取り残されていく。隣に座っている光風会の西房浩二さんが”涙そうそう”を熱唱する。遠くから「おい!絵よりもうまいじゃねえか!(野田弘志氏)」の声。すかさず「うるさい!!(西房氏)」。…光風会、白日会、独立、二紀会、国画会、主体美術、立軌会…、その他、会派も上下も関係なくやりあっている姿は、見ているだけでちょっと楽しい。…結局そんなこんなでホテルに戻ったのは1時過ぎだった。翌日は11時前に会場に寄って山本靖久氏、独立の山本雄三氏、光風会の西房浩二氏と、茶谷雄二氏とともに札幌駅近くの店でジンギスカンを食べ、そのまま飛行場に向かった。結局札幌の観光ポイントは一つも見ずじまい。また5年後、来れるかな?

とにかく、北海道の皆さん。今一度お礼を申し上げます。それから初めての私に結局ずっと付き合う羽目になった茶谷さん。心から感謝します。

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