ホキ美術館その2(対談)

昨日は前にも書いたホキ美術館での対談当日。新聞によると野田さんとさしの対談みたいなことになっていて少々焦ったが、事前に美術館側から「さしじゃないので安心してください。」との丁寧な連絡があり、内心ほっと胸をなでおろしての”出陣”となった。前回家族を連れての車での訪問で散々な目にあったので、今回は一人、電車で行くことにする。土気駅を降りて美術館まではバスで行くことができるようだが、徒歩でも20分ほどだというので散歩がてら歩いていくことに。途中ラーメン屋で腹ごしらえ、講演は3時からだったが1時半頃に到着、前回は閉館間近でバタバタしていたが、今回はじっくり館内を見て回ることができた。美術館の裏に回ってみると、この美術館の建築上の見せ場ともいえる空中につきだした回廊、前回は見る余裕もなかった。
美術館がオープンしてから1年もたつというのに見るとその日も美術館の駐車場はすでに満車、館内も人があふれていた。それでも震災以来入場者は少し減っているというから、いったいオープンのころはどんなだったのだろうと驚かされる。

講演会のスケジュールは前半、展示されている自作の前で作品についての短い解説、(野田さんはたぶん前日に済ましていたらしい)後半に美術館の階段状のホールで司会者を交えた対談という段取りになっていた。今回は保木館長も同席することとなった。「写実の可能性」というタイトル。いったい何を話そうかと考えては来ていたが、事前の打ち合わせであまり話が専門的になってはお客さんが理解できなくなるので…、とクギを刺され、結局は野田先生との出会いについて、あたりから話すことに…、細かい話はきりがないのでここで書くことはやめておくが、意外に時間はあっという間に過ぎてしまい、それなりに楽しくやってみたものの、果たしてこんなもんでお客さんにはよかったのだろうかはわからない。反応がちょっと気になるところだ。たぶん絵描きが見たらつまらなかったろうけど…。そう、最後列に一人、知っている絵描きが…、翌日対談予定の石黒賢一郎君。偵察に来たらしい。

会談終了後、退場しようと思ったところで思わぬ出会いがあった。にっこり笑って向こからやってきた夫婦、その奥さんのほうがなんと高校時代の同級生だった。何年ぶりの再会だろう、たぶん10年以上は会っていない。彼女はクラスでも飛び切りの美人で優秀な学生だった。卒業後は音大でピアノの道に進み、何年後かにひょんなことで再会し(何がきっかけだったかは覚えていない。)以来展覧会に来てくれたり、彼女のコンサートのチラシに使うロゴのデザインを頼まれたり…、そんなことが続いていたが、ここしばらくはたまの展覧会の案内状や年賀状でしか連絡を取り合っていなかった。予想もしていなかった再会に思わず声を上げてしまう。話を聞くとすぐ近所に住んでいるのだという。そういえば手紙を出すのにいつも千葉の宛先を書いてたっけ。ホキ美術館のことは知っていたが、ここに来て初めて”小尾君”の絵があるのを発見し驚いたという。今回は新聞の広告で見てさっそく予約してきてくれたらしい。こちらとしても思わぬハプニングだった。

すべてが終わった後、美術館のレストランで、野田先生、石黒君、私の3人はホキ館長に夕食をごちそうになる。ワインを飲んでご機嫌な野田さん。作品のこと、美術館のこと、画商のこと、絵描きの生活…皆、飲めば飲むほど饒舌になっていく(飲めないのは自分だけ。)。そのうち野田さんが「ホテル広いから、今日はおれんとこで泊まってけ。」という話に。石黒君は東京のホテルに泊まることになっていたのだが結局一緒にホキ館長が用意してくれたという野田さんのホテルに行くことになる。タクシーに乗ってどことも分からぬ山道を通り、たどり着いたホテル。(実はどこにあるなんて言う名のホテルかも知らないままだ。)エレベーターに乗って着いた先は最上階、実に1フロアーの4分の1という広大な部屋だった。会議のできそうな広い部屋、広い寝室が2つ、トイレも2つ、ふろ場とは別に夜景を見下ろせる巨大なジャグジー。サウナまである。翌朝見ると周囲はどこまでも続く広大な土地、遠くに見える富士山、見ると下にはテニスコートや大きなプールまである。これはおれん所に来いと言いたくなるはずだ。こんなに広い立派なところにたった一人じゃ寂しすぎる。何か出るんじゃないかと怖くなるくらい。

すでにすっかり出来上がっている野田さんと石黒君、さらに飲み始める。一人しらふの自分はどんどん取り残されていくばかり。盛り上がるのはもっぱら写実の話。これからやりたいこと、展覧会のこと、あいつはだめだ。こいつもまだまだ、お前もっとしっかりしやがれ…。野田さんはめったに人を褒めない。べらんめえ調でバッタバッタと切っていく。でもけちょんけちょんに言われながらもなんだかいやな気分にならないのはそれを言う時の野田さんの目に優しさが見えるからだ。その言葉の裏には愛がある。叱咤激励という言葉がふさわしいのかもしれない。だからいつも彼の周りには人が集まってくるのだ。「日本に写実を根付かせたい。」野田さんは常にそう言ってきた。次に続く作家を何としても育てたいという強い気持ちは、時に自腹を切ってでも若い作家を支援するという行動をおこしさえする。そんな作家はそういるものではない。「本質的なことをやろうよ。」「命を懸けてやってみろよ。」「これから写実を引っ張っていくのはお前たちなんだぞ。」それが野田さんの口癖。
野田さんとの出会いや思い出を語ろうと思えばきりがない。それほど会って話した数が多いわけでもないのにも関わらずだ。まあ機会があればまた書くことにしよう。しかしこんな風にゆっくり野田さんと話すことができたのは本当に久しぶりのことだった。もう3年以上前になるだろうか、金沢で光風会の西房さんたちと展覧会をした時、オープニングの後にやはりホテルで飲んだ時以来。こんな機会を与えてくれたことに対してもホキ美術館には感謝したい。

昨日もそんなこんなで結局2時近くまでべろんべろんになりながらしまいには「頼むぜ。おい」と固い握手を交わして寝たのだった。
…翌朝、「先生、昨日の話、覚えてますか?」の問いに帰ってきた答えは、ぽかんとした顔での「え?ぜんぜんおぼえてない。」だった。自分に都合のいいこと以外は全部忘れちまったらしい。

二日酔い気味の石黒君は言う。「なんだかもう対談でいうこと全部話しちゃったみたい、今日はもういうことないですよ。」対する野田さん。「おれはなんにもおぼえてないからへいきだよ。」
昨日の夜みたいなやり取りを対談でやったらどんなにか面白いことだろう。でも実際やったらあちこち差し障りがあることだらけでとっても無理でございます!

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