エッフェル塔と東京スカイツリー

成田空港に到着し、飛行機を降りた瞬間に感じたことは「これが日本の湿気か!」…ということ。それまで日本は湿度の高い国だということは分かっているつもりだったが、1年間、湿度の低い国に住んだ後に帰ってみて、初めてそれをリアルに実感する。特別暑くもないのにただじっとしているだけで汗が出てくる。服が体に張り付く。…しかしちょっと妙だ。ここは空港内、いくら日本の湿度が高いとはいえ空港内までこんなに湿気が高いもんだろうか。しばらく行くとあちらこちらに張り紙が。「節電中。」…帰国数分にして早くも震災の影響を文字通り肌で感じることになった。

空港に着いたのは朝の7時半頃。そこから大方の荷物を宅配便に預け、リムジンバスで家路につく。帰りの荷物は行きより当然増えている。何とか引っ越し代を抑えようと規定枠ぎりぎりに近い大荷物。何せ大人でも3歳児でも持ち込める荷物の量は同じ。一人23キログラム以内の荷物を2つまで預けられるので、我が家は合計8個、合わせると184キログラムまで乗せられる計算。こんな大荷物の人は他にはいない。周りの人たちがぽかんと口を開けて見ているのが面白いような恥ずかしいような…。帰りの飛行機の中で気付いた。日本円がない。財布を見るとわずか2000円程度。ユーロも手持ちはほとんど使い果たしてしまい、残るは約10ユーロのみ。これでは空港から出られない。空港のATMで引き出そうにも日本のキャッシュカードは持ってきていない。唯一持っているシティーバンクのカード、しかしその口座にはもうほとんど日本円は入っていなかった。残る手はクレジットカードのみ。もしこれで宅配便やリムジンのチケットが買えなければここまで来て万事休す。まったくハラハラもんだったが何とか無事に帰りのバスに乗ったのだった。

1年間フランスで暮らした後に見る日本の風景は、やはりそれまでとは少し違って見える。バスの車窓に流れる景色を見てまず気付くのは緑の違い。緑に隙間というものがない。フランスの風景の中にある緑の木々は、日本ほどに葉が密集していない。街路樹なども、適度に隙間があって向こう側が透けて見えるのだが、こちらの木々はどれもこんもりしていて隙間というものがない。もしそんなものがあったとしても、その隙間は下から這い登ってくるつる性の植物でびっちり埋められてしまう。林の中には一面そんなつる性植物のため、本来の木が完全に覆い隠されてしまっているものもある。放置されたような空地には雑草がはびこり人の背丈ほどにも伸びてしまっているところがあちこちにみられるが、これもフランスではあまり見ない風景だ。おそらく日本のほうがずっと土が肥えているのだろう。高速道路のフェンスの上をつる性の植物が一面に這い登り、ほとんど飲みつくそうとしている様は、この国の自然の生命力がヨーロッパと比較にならないことを象徴しているようだ。フランスの風景を見ていると、何か自然が整列させられているように感じられる。その美しい風景はよく見るとすべて人に良く管理されたものだ。逆に言えばそこの自然はある程度”御しやすい”自然といえるのかもしれない。比べて日本の自然は御しきれない自然。管理しようにも管理の力を超えて勝手にはびこる力を持った自然だ。台風、地震、すべて人の力を超えたもの、だから日本人とヨーロッパの人々では自然に対する敬意の払い方も違うのだろう。徐々に農村地帯から都市部に入っていく。するとそこに見えてくる街の様子も、当然フランスとは違うものだ。地震国日本にはヨーロッパのような歴史を感じる重みのある建築物はほとんど見られない。常に新しく更新されつつある町並み。建物そのものは余分な凹凸もなく、1年間パリを見慣れた後の目には何か味気なくも感じる。川向こうに見えてきた東京スカイツリー。(去年ここを発つ時にはまだできていなかった。)その周辺には次々に新しいビル群がまるで次々生え出ているように見える。その反対側を見るとくすんだ色をした住宅街。色や形には統一感もなく、何か自然発生的にごちゃごちゃと増殖してしまったようだ。川の向こうの新しく開発されつつある町、こちら側の古い町ともに、そこにあるのはパリのような一貫性のある都市計画というものとは少し異質なもののようだ。そう、今見てきた自然に少し似ている。統制しようにも制御が効かない日本の自然のように、日本の町は雑草のように増殖しているかのようだ。それがいいか悪いかは別の問題として、そこにはヨーロッパとは別物の力強さがあるように思えてくる。日本人はヨーロッパの中で見てもほかのアジア人以上に一見従順でおとなしく自己主張も強くはない、ある意味では弱々しく思えることさえあるが、まるでアリや雑草のようにコツコツとしかし際限なく作り続けることで大きなことをやり遂げるような粘り強さを持っていることは確かかもしれない。日本人は絶えず地震、台風、火山の噴火、自然の力であらゆるものを奪われながら、こつこつとそこから這い上がってきたのだ。今回の震災や、原発の問題の中にあっても、この豊かな自然とそこで生きてきた人間は、きっとそれを乗り越えていけるだけの生命力を持っている。遠くに見えるスカイツリーにパリのエッフェル塔を重ねてみながらそんなことを思った。

バス停を降りるとそこには出かける時も見送りに来てくれた妻の友人Kさんが来てくれていた。車で家まで荷物と我々を運んでくれるという。最初から最後まで我が家は友人に恵まれている。感謝。Kさんは言う。「行く時とはずいぶん違うね。ちょっとたくましくなったっていうか、行きは”外国旅行に行くサザエさん一家”みたいだったけど、今日は”旅慣れたサザエさん一家”みたいよ。」…結局サザエさん一家には変わりがないらしい。

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