フランスを去る日

すでに日本に帰りかなりの時間が過ぎてしまった。帰国してからは荷物の整理や様々な手続きに追われ、ゆっくりする時間もなかった。今もそれに代わりはないのだが、忙しさの中で記憶が薄れる前に、時間を見て少しずつその後のことも書いてみようかと思う。

8月30日の飛行機で我々はフランスを後にした。帰る前の日、最後の1日をどう過ごそうか、いろいろ考えていた。しかし実際、思い出に残すようなイベントが可能なほどの余裕などほとんど残っていなかった。まずなにより、アパートを出るにあたっての大家との確認作業、これは日本ではあまりないやり方だが、入居時と、出るときにお互いが家の隅々の状態を確認し合うというもの。どこか破損したところがないか、汚れたところがないか、使ったカーテンやら毛布はちゃんとクリーニングに出したのか…など、いちいちチェックをする。あまり楽しい作業とは言えない。本来なら家を空ける当日に行うものだが翌日の出発が朝の6時半頃と早いため、前日に行うことにしたのだ。午前中にさっさと済ませ、午後は口直しに最後のパリを見に行こうと思っていたのだが、数日前に大家に電話すると、朝は銀行に予約があって行かなければならないという。昼過ぎの2時ごろからでは…、という。それでは午前も午後も何もできない。少々慌てた。「こちらも午後に銀行の口座を閉じに行かなくてはならないのでそれでは困る、午前中何時の予約ですか?」と尋ねると、10時だという。では11時でいかがですか?と切り返すが結局12時ということで手を打つことになった。

…結局作業は2時ごろまでかかった。それからオペラ通りにある銀行まで、口座を閉じに行く。実は妻はもうくたびれてあまり行きたくなさそうだった。銀行には一人で行って、自分と子供たちは近所に挨拶しながら待とうかと言う。そんな妻を、もう最後なんだから、あまり素敵な関係を持てなかった大家とのやり取りを最後の記憶に残すより、無理してでも出ようよ。と説得し、結局家族4人で出かけることにした。銀行の解約はあっさり数分で終わるが、もう大して時間もない。実は家に帰ればまだ荷造り作業が残っているのだ。もう一度目に焼き付けておきたい場所はいくらでもあるが、もはや時間切れ、オペラ界隈で過ごすしかなさそうだ。オペラ通りのカフェのテラスで一息入れることにする。いつもの当り前のことをしていても、明日はここにいないのだと思うとなんだか特別に思えてくる。ここに来たばかりのころにはただカフェに入るのだけでも、注文から会計まで何から何まで訳も判らず緊張していたものだ。今は言葉はほとんどできなくても注文くらいはできる。これからしばらくは見られなくなるだろう街並みをゆっくり楽しむことにした。せかせかと行きたい全てを目に焼き付けるためだけに歩き回るよりは、この方がパリらしいと思う。子供たちは最後にラーメンを食べたいという。フランスに来てまもなくの頃、Vyさんが連れてきてくれて以来、いつもオペラに来るときはラーメン屋「北海道」のラーメンと餃子のセットを食べるというのが子供たちの楽しみだったのだ。ここの餃子は本当にうまかった。…これから日本に帰るというのにフランス最後の食事がラーメン屋というのもどうかと思うが、これも一つの思い出だ。ラーメン屋に向かう途中、いつもここを通ると気になっていた刃物の専門店に立ち寄る。通り沿いのウインドーに飾られたナイフやはさみ。どれも見ているだけでうっとりするような美しいものばかり。店の前を通るたびに自然に足を止めていた。しかし値段は決して安くない。店に入るのはその日が初めてだった。「これで最後!」とばかり、安いものの中から妻ははさみ、私は小さな折りたたみ式のナイフを買った。

まだ早い夕食、果たして店はあいているのかと思いながら「北海道」へ。幸い店は開いていた。いつものギョーザセットをたらふく食べ、子供たちは大満足。店を出て、わき道から近所の庶民的なパッサージュ、ショワズールの画材屋に立ち寄り、ペンの軸を何本か買う。ここのちょっと気取ったいかにもフランス人らしい店員ともこれでお別れ。オペラ座の前を通り過ぎてメトロに乗る。…オペラ座の前で写真を撮った。いつも観光客でごった返し、記念写真を撮る人々が絶えない場所。さすがにこんなところで写真を撮るのは恥ずかしいと今まで撮ったことはなかった。1年かかって帰る前日、ようやく撮った記念写真。…結局さすがにルーブルのピラミッド前では撮らなかったな。

家にたどり着いたのは7時近かったろうか、それから近所の知り合いに挨拶に行く。向かいに住んでいるYさんに借りたものを返しに行くと、子供たちも出てきてくれた。妻とYさんが話している間に子供たちは砂場で遊び始める。まだお隣に挨拶に行かなければいけないというとしばらく子供たちを預かってくれるという。そこで妻と二人でお隣の”サンタクロース夫妻”Bernardさん、Marie-Renèeさん宅へ。出てきたのはアメリカから帰国中の娘さんだった。ご夫婦はバカンスで出てしまっているという。しかし、その代わりにお孫さんのLouちゃん、Alixちゃんと会うことができた。2人は会うなり駆け寄ってきて抱きついてくる。クリスマスのころにうちに遊びに来た時よりも、少し大きくなって見えた。

子供たちを迎えに行くとYさんがもう一人、知り合いが今会いに来るという。再び外に出て待つことになった。子供たちは大喜びでまた砂場で遊びだす。妻のヨガ仲間の一人がわざわざ駆けつけてくれた。そのうちもう一人、近所の息子の同級生家族が合流、さらに時を同じくしてVyさん夫妻が車で駆けつけてくれ、夜も9時近いというのに気付くとあたりは知り合いだらけになっていた。最後の夜、偶然にもこんなにたくさんの知り合いたちに囲まれて幸せな時間が持てるとは思ってもみなかった。日本を発つ日、同じように知り合いに見送られながら空港に向かったことを思い出す。ここに来て1年しか経っていないが、ここでもまた同じように暖かな気持ちで出発できることをありがたく思う。

翌日の朝、6時過ぎの出発にもかかわらず、Yさんは家族全員で見送りに来てくれた。世界各国を渡り歩いてきた経験から出発当日の大変さを私たち以上によく知っての気遣いだと思う。タクシーまでの荷物運びを手伝ってくれた挙句、車中で食べるおにぎりまで準備していてくれた。その優しさが身に染みる。またいつか会えるだろうか。

空港までの車中、窓から見えた朝焼けの風景は、やはり特別に見えた。…日本を発つ日に見た風景と同じように。

P.S….ところで空港までのタクシーの運転手はカンボジア人。フランスで最後に会うのはカンボジア人なんだなあ、…と思っていたらそうじゃなかった。韓国人教会の牧師さんがわざわざ見送りのためだけに空港まで駆けつけていてくれたのだ。我々のために祈ってくれる。…それにしても、最後の最後に会うのがカンボジア人、そして韓国人、というのも多民族国家のフランスらしい。ついでに言えば、フランスで最後に会話をした相手。これは立派なフランス人。お土産物屋でチョコレートを買った時のレジの女性。買い物をするのに航空チケットを見せなければならないというのを知らず、何のことかと聞く私に、半分切れかけた表情で、「チケット!チケット!」を繰り返す。これぞフランス人!最後の幕切れまで、やっぱりフランスはフランスだった。

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