オランダ(その4)

帰る日。やり残したことがあった。レンブラントの家。本当はゴッホ美術館に行こうと思っていたのだが、今回自分の中の優先順位としてこちらをはずせなかった。朝9時過ぎにチェックアウトをしていったん中央駅に向かい、駅のコインロッカーに荷物を入れてから再びトラムに乗ってワーテルロー広場に向かう。
レンブラントの家は彼が33歳の時から20年間住んでいた場所。家にはそれが建てられた年の1606の文字が刻まれている。入口は隣りの新しい建物からで、こちらには主に彼の版画を中心として同時代の作家の版画も展示されている。新館の地下からレンブラントの家に入り、彼のモチーフとして描かれているような螺旋階段を1階、2階へと登りながら彼の生活空間、版画の作業場、モチーフ室、そしてアトリエへと観ていくことになる。もちろんそれらは当時の様子を再現したものであって、当時のそのままが保存されているわけではないが、それでも当時彼がどんな環境の中で制作していたかを知る手掛かりにはなって興味深い。版画の作業場では実際エッチングの版を用いて実演までして見せていた。肝心のアトリエだが、彼の作品から想像して相当薄暗い部屋を予想していたら、意外にも部屋は明るかった。床の板など、まだ新しいものが使われていて床面からの反射でなおさらに明るく感じるのかもしれないが、比較的窓も大きく決して薄暗い部屋ではなかったようだ。むしろフェルメールの描く室内の明るい雰囲気に近い。日常的な空間そのものをリアルに描くと言う意味では確かにフェルメールのほうが現実に忠実と言える。描かれたものは当たり前の日常空間そのもの、それを本当にそのように描く。その描く力そのものに凄みがある一方、それら日常的なものをどのように配置し、切り取っていくかの部分でフェルメールは構成力を発揮する。レンブラントの場合はそうした意味でのリアリズムとは少し違う。描くことに対しては同じようにあくまでもリアルだが、彼の構成力は画面の中での光を操作し、その明暗のドラマの中で空間を作り上げていくことにある。

アトリエの中は、わかっている範囲で当時の制作方法が理解できるよう、工夫がされていた。壁には当時のキャンバスの貼り方…木枠に直接キャンバスを張り込むのではなく、キャンバスよりも一回り大きな木枠の内側に紐によって引っ張って貼るようにして張る方法…で張られたキャンバスが立てかけられている。イーゼルにのせられたキャンバスには茶色の下塗りの上にグレーの下塗りが重ねられようとしている。これは当時彼が板地ではなく、キャンバス地に適応していた2重の下地(ダブルグラウンド)の方法を表わそうとしたものだ。(…実際今から描くイーゼルに下地途中のキャンバスがのっていることはたぶんなかっただろうが。)アトリエの片隅には顔料とそれを練った練り棒、大理石板が据えられ、観る者のために当時使われていた色の見本がパネルに表示されている。鉛白、土製系顔料、アズライト、マラカイト、スマルト、バーミリオン、鉛錫黄など…。アトリエの広さは作業するに充分なものだが、多くの作品を同時進行で描いたり、また多くの弟子たちを抱えた工房的な作業場として考えると決して広いとまでは言えないような気もする。そう考えると、ここは作業場と私生活を隔てるようなものは何も見当たらない。実際の作業はどんなものだったのだろうか。

美術館の売店で版画を1枚買った。オリジナルの版から刷ったものという訳にはいかないが、それでも写真ではなく、版から刷ったもの。

急いでまた向かいのCaféで食事をして帰りの道につく。帰り際、蚤の市で来るときに目をつけておいた30センチほどの自転車のおもちゃを買う。とくに古いものという訳でもなさそうだが観ていてなんだか嬉しくなる。妻と意見が一致した。精密…というほどではないにしても、ちゃんとチェーンがついていて動くようになっている。25ユーロと書いてあったが20ユーロまで負けてくれた(2300円くらい?)。気付くと時間がもうない。大慌てで駅に向かう。電車の時間10分前のギリギリセーフ。あわただしいままにアムステルダムを後にした。
最後にもうひとつ。オランダ人には入れ墨をしている人が多い。

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