レンブラント

気温―2度、雪。

今日は今回の本命の一つレンブラントをゆっくり見た。と言っても模写の対象として狙っていた作品を含め、実は目玉となる作品が何枚か貸し出されているようでちょっと悲しい状況ではある。作品がいつ戻ってくるのかよくわからないが、しばらくそれを待ちながら文献あさりを続けるか、今ある中から選んでみるか、考え中。

当然のことだが画集では実際の絵肌の感じはわからない。写真を撮る際にはできるだけ絵の具の凸凹による影が映らないように光を調節して撮影しているはずだ。しかし実際の絵画は平面の上に絵の具という物質をくっつけていく作業であり、作品はまさに物質そのもの、ときにはそのでこぼこ―マチエール―そのものが作品の重要な構成要素ともなりうるものだ。レンブラントの作品はまさにそういう作品だ。

比較的初期のパネルに描かれた自画像は全体に緻密な印象が強い。肌の影の中、回り込みの部分などにはある程度下地の明るさが生きているように感じる。髪の毛の部分もおそらくはそうだ。明部はもちろんシルバーホワイトがしっかりのせられているわけだが、ごってりとした厚塗りと言う訳ではない。

マチエールを複雑に見せているのは上に重ねられたグレーズ層の絵の具がわずかな凹凸のへこみに入りこむことで凹凸が強調されているためだ。むしろこの絵で最も凹凸が激しい部分は黒い衣装の上の装飾。主に装飾品のハイライトの表現としてシルバーホワイトが厚く置かれているのだが、たんに明るさのためだけであればここまでの厚塗りは必要ない。明らかに触覚的な自らの欲求にしたがっての表現と言えるだろう。全体として初期の板絵から受ける印象は計画性。ある程度、のせるところ、残すところをあらかじめ決めて進めていかなければこのような仕上がりにはならないはずだ。 

比較して晩年のキャンバスに描かれた作品はもっと筆使いが激しい。マチエールはものの質感表現のためにあるのではなく、筆の運動そのもの、絵の具の強弱そのもの。本のページのめくれた部分を見ていると、レンブラント自身の筆を運ぶスピードが見えてくる。このような変化は、モネの初期と晩年の変化とも共通しているようで面白い。暗部は薄く、明部は厚く、という意味では初期も晩年も変わりがないのだが、初期のものはまだもの一つ一つを描き割り的に説明している硬さがあるのに対し、晩年は光とともに空間そのものを描き出すような筆の動きをしている。人物の表現も肌の質感から内面の深さへと画家自身の関心が移っていく様子が見て取れる。

余談になるが、牛の肉の塊を描いた作品は、比較的後期の作品だが板に描かれている。かなりダイナミックなタッチで描かれた作品だ。面白いなと思ったのは一回板が割れたのか、もともとそうなのか、よく見ると、画面の下のほうに、割れを防止するための板のパーツが埋め込まれているのがそのまま見えている。これ、本来は裏側にする処置なんじゃなかったかな。その方面は専門じゃないので何とも言えないが、とにかくこれも実物を見るからこそ見えてくることの一つ。

さらに余談になるが、ここに来る前は知らなかったのだが、実はルーブルにもモネやルノワールの作品が展示されている。あんまり人が来ないような奥のほうの部屋、暗ーい部屋の黄色い照明の中ひっそりとかけられている。ちょっと気の毒な気がした。これだったらオルセーかどっかに持って行ってあげたほうがいいんじゃないかなあ。

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