フランス人はひなたが好き

今日の午後はマルモッタン美術館へ。もともとモネの作品を多く持っている美術館だが、その美術館で「モネ展」をやっている。あちこちでそのポスターを見かけていた。今日は土曜日ということもあってか、美術館のあたりの公園には子供連れの親子がたくさん見られる。こちらはまだそれほど寒くはないのだが、もう紅葉もかなり進み、落ち葉がちらちら舞っている。そんな様子をよく観察してみると、面白いことが分かる。涼しいとはいえ、今日などちょっと歩くと汗ばむほどの暖かさ。じっとっていると日差しは結構暑い。にもかかわらず公園の芝生に座る人たちは、木陰ではなくわざわざひなたをを選んで座っているのだ。そういえば、フランスといえばシャンゼリゼ通りなどのCaféで店の外に設けられた座席でおしゃべりしながらコーヒーを飲んでいる映像がよく思い浮かぶが、これ、実はシャンゼリゼに限った光景ではない。シャンゼリゼのようなおしゃれな通りじゃなく、ごみごみした人通りの多い細い道に面した所でもなぜか店の中じゃなくみな外で飲んでいる。外のほうが高いにもかかわらず。しかも必ずと言っていいほどひなたに。数日前、外出中にくたびれて近所のカフェに入ったのだが、あまりに暑いので風の通る外の日陰の席に座ったのだが、見ると、そのあたりに座っているのは自分たちだけ。日本人の感覚からすると、日陰から陽のあたる風景を見ていたい気分なのだが、こちらのひとはなにがなんでもひなたがいいらしい。特に冬場、パリはいつも曇り空ばかりだそうで、もしかしたらこういう晴れた日差しを日本人の自分たちよりも無意識のうちに求めるのだろうか。これが寒い冬になったらどうなるのだろうか。興味しんしんだ。ちょっと聞いたところによるとストーブまで出してやっぱり外で飲むんだとか。そういえばいくつかの店先には頭上にでっかいストーブらしきものが…。そこまでしても外にこだわるのかフランス人。

ところでモネ展。市内のあちこちにポスターが貼ってあるくらいなので、結構人出が多いと覚悟していた。たぶん日本だったら長蛇の列が100メートルできてもおかしくはない。しかしいってみると、どこで展覧会をやっているのかと思うほど。一人も並んでなんかいなかった。監視員の人がうちの子供をあやしに来たりして、非常にゆったりとした雰囲気。日本ではまずあり得ない。展覧会そのものも、質のいい作品も多く、見応えがあった。そう、以前学生のころに来た時は目玉の「印象、日の出」が盗まれてしまっていてなかったが今回はちゃんと飾られていた。

モネは他の印象派の作家たちの中でも昔から好きだった。画面の構成力、着目点、、物質としての絵の具の扱い方。全ての面で群を抜いている。モネは色彩の美しさの印象が強いが、決して色彩先行型の画家ではない。あくまでもかっちりした明暗構成(色面としての白黒構成とでも言ったらいいだろうか。)の上に色彩がのっている。(描く手順のことではない。)

ロンドンの国会議事堂を描いた作品。川面に反映する陽の光がまぶしく感じる。この絵の魅力はもちろんその光の表現だが、画面から見えてくる筆使い。画家の息遣いそのものが伝わってくるような抑揚に満ちた表現。遠景の国会議事堂は非常な薄塗りおそらくテレピンを多く含んだサラサラの油で殴り書きのように、しかし大きなタッチの方向性を持って描かれている。それに対して近景のきらめく水面の照り返しは油で溶かないほとんどそのままの絵の具で厚く、迷いなく、描きこまれている。空は遠くに行くほどゆるやかに、近くなるにつれ力強く。あるところは画面上で色を混ぜ合わせながら、あるところは対比させるように色をぶつける。筆と絵の具の可能性を全て引き出したような画面に思わず吸い寄せられる。

晩年に近づくにつれ、視力の低下とともに形態が崩れ始める。しかし筆のリズムはますます幅を増す。このころになると、明部の表現に絵の具の白をのせるだけではなくキャンバスの白を残す方法も使われ始める。細部が失われる一方、身体のリズムのようなもの、筆圧の強弱、筆のスピード、タッチの長さ、方向性、そういったもので作品を成立させていこうというような意志が感じられる。すさまじい執念のようなもの。

積み藁の絵を見て娘が言った。「かき氷かき氷!」思わず笑ってしまったが、そう言われればそう見えてくる。これは結構鋭いななどと感心する。実際この絵にとって積み藁は口実のようなものだ。描きたいのは積み藁そのものではない。ただそこに光に包まれた形と色彩があればいい。

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